大ベテラン
シーズンは終盤を迎え、これまでチームを支えたベテランの引退。戦力外通告などの話題が増えてきました。
そして長らく阪神を支えた能見篤志、福留孝介、藤川球児の3人も例外ではなく2020年限りで現役を引退、阪神を退団することが決定されました。
そこで今回の動画はこれまでのリスペクトも込めて、大ベテラン3人の阪神での活躍を振り返りたいと思います。
野球中継を見るような感覚で画面に全集中お願いします。
虎のエース
能見篤志
2005年自由枠獲得枠で阪神に入団。
一年目から一軍の試合に登板するも、4年目までは1軍、2軍をいったりきたりする日々が続く。
しかし、5年目の2009年にローテに定着するとリーグ4位の防御率2.62 13勝 リーグ2位の154奪三振 を挙げ一気にセリーグを代表するピッチャーとして頭角を表しました。
翌年の2010年も開幕から好調でしたが、5月2日の巨人戦で走塁中に故障。
4ヶ月もの戦線離脱を余儀なくされました。
9月に復帰した後は好投を連発し初の月間MVPに輝き、結局2010年のシーズン成績は8勝負けなしでした。
この年の阪神はチーム打率290 3割バッター5人 90打点以上5人を要する歴史的な超強力打線が機能し、近年で1番優勝に近かった年と言われています。
現に優勝した中日とはわずか1ゲーム差でした。
もし、あのとき能見が離脱していなかったら…と阪神ファンの私は今でも考えてしまいます。
2011年には初の開幕投手を任され、この頃から「阪神のエース能見」と全国ニュースでも言われるようになりました。
11年12勝、12年10勝、13年に11勝を挙げ3年連続二桁を達成。
2012年には172三振を奪い、初のタイトル最多奪三振を獲得。13年にはWBC日本代表に選ばれました。
14年から16年まではローテを守りながらも安定感を欠き3年連続でセリーグ最多敗戦投手となります。
そして2018年。当初は先発で起用されましたが、不安定な投球が続き、2軍で調整した後、本格的に中継ぎに転向。すると見違えるように好投を連発し、中継ぎ転向後の成績は42試合に登板。防御率0.86と好成績を残しました。
19年は開幕から中継ぎに専念し、自己最多の51試合に登板、40代投手のシーズン最多登板の記録を更新しました。
しかし防御率は4.30と前年に比べ大幅に悪化。
そして2020年。41歳を迎えたシーズン。
開幕から中継ぎとして1軍に帯同するも、ストレートを痛打されることが大幅に増え、10月に今季限りの退団が報道されました。
虎のキャプテン
福留孝介
2013年、メジャーリーグから日本に復帰。阪神に入団しました。
阪神は2007年にもFA宣言した福留にオファーを出していたため、5年越しのラブコールが実った結果となりました。
しかし、2013年シーズンは怪我による度重なる抹消もあり、63試合の出場打率.198 6本31打点の結果に終わりました。
翌年
2014年
開幕3戦目の巨人戦の2回裏。
ライトを守っていた福留は、
大竹が放ったちょうどセカンドとライトの間に落ちる絶妙な凡フライを追ってセカンドの西岡剛と激突。
西岡は救急車で運ばれる事態に、福留もしばらく立ち上がることができませんでしたが、西岡が搬送された後復帰したのち途中交代となりました。
この激突によって
西岡は4ヶ月もの戦線離脱。
福留は打撲と報道されていましたが、
実はこの激突によって福留も骨折していたんです。
でも福留は西岡に気を遣わせまいと骨折していたことを黙っていたんです。
その後は体が動かず、打率1割に低迷。1ヶ月ものあいだ長打がでませんでした。
当時何も知らない阪神ファンは入団以降結果がでていない福留に対して「銭留め」と心ないヤジを飛ばしました。
その後登録を抹消されてフォーム改造に着手。再び1軍に戻ってからは体の状態が戻ったこともあって、次第に打ちはじめ6番ライトに定着。CSでも活躍し、阪神の日本シリーズ進出に貢献した。
結局2014年は.253 9本34打点
2015年。
この年は開幕から完全に復調。
主に3番、5番を任され、前年度の成績を大幅に上回る.281 20本 76打点を記録。
これらは全てチームトップ。
中日時代以来となるベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞し
完全復活を遂げた。
2016年。この年から監督に就任した金本監督に開幕から4番を任され打率311をマークした。
17、18年も10本70打点以上の成績を残し、チームの主軸として活躍。
17年からはそのリーダーシップの高さを評価されてキャプテンに就任した。
矢野監督に変わった2019年は256 10本47打点と成績に陰りが見られ、
2020年。開幕スタメンに名を連ねるも、不振により代打での起用が大幅に増える。
そして福留主催の会食により8人がコロナウイルスに感染し登録を抹消。
しかし、この会食はオリックスからトレードで加入した小林を歓迎しようと行われた会で面倒見のいい性格がアダとなってしまった形となったのです。
その後、報道で今シーズン限りの退団が報じられました。
虎の守護神
藤川球児
1998年ドラフト1位で阪神に入団。
当初は先発を期待されていましたが、入団から5年間はファーム暮らしがつづきました。
2003年には戦力外のリストに入っていたらしいです。
今年ダメなら最後と思いで臨んだ2004年。キャンプから徹底的に投げ込み故障。その期間に、当時の2軍投手コーチだった山口高志とフォーム改造に着手、1軍に昇格してからは以前と見違えるようなストレートで三振を奪うようになり、中継ぎとして定着。31回を投げ35奪三振を奪った。
そして2005年。
当時の岡田彰布監督からセットアッパーとして8回を任され、わかっても打てない火の玉ストレートを武器に開幕から奪三振を連発。
7回ジェフウィリアムス、9回久保田智之と共にJFKを形成。今では球史に残る勝利の方程式として伝説となっています。
当時のシーズン最多登板となる80試合に登板。
46ホールド。防御率1.36で初のタイトル最優秀中継ぎ投手を受賞し、チームのリーグ優勝に大きく貢献しました。
翌年2006年はWBCの日本代表に選ばれ、シーズンに入ってからも前年を上回る大活躍。
球団記録の47イニング連続無失点を記録し無双状態に。
オールスターでは当時パリーグを代表するバッター西武カブレラ。日ハム小笠原を相手に全球ストレート予告。公言通り全球ストレートで連続三振を奪い両リーグのファンを痺れさせました。このシーンはオールスターの名場面として今でも語り継がれています。シーズン途中からはクローザーに転向。虎の守護神として君臨し17セーブをマーク。
30ホールドで2年連続の最優秀中継ぎ投手を受賞しました。
2007年は開幕からクローザーとして圧倒的な成績を残し、当時のプロ野球記録となる46セーブをマークし、最多セーブに輝きます。
そして2008年から2012年まで阪神の守護神として9回のマウンドに立ち続け、2013年からメジャー挑戦。その後独立リーグを経て2016年に阪神に復帰。
当初は先発での起用でしたが、炎上が続き、再び中継ぎに転向。
5月18日甲子園での中日戦では9回、1点リードの場面で登板。復帰後初セーブを挙げました。
かつてのようにリンドバーグの曲が流れ、リリーフカーに乗って藤川が登場するシーンは阪神ファンを感動させました。
結局2016年は43試合で防御率4.61でした。
2017年は開幕からリリーフに専念。
53試合に投げ、防御率2.22を記録し復調。
翌年も53試合で防御率2.32と安定した投球を披露しました。
2019年には同一投手による150セーブ、150ホールドのNPB記録を樹立し、監督推薦で7年ぶりのオールスター出場を果たします。
7月からはクローザーを任され
56試合 16セーブ 防御率1.77の成績を残しました。
そして2020年。
開幕からクローザーを任されましたが、救援失敗が相次ぎ登録抹消。
その後、9月に今季限りでの引退が発表しました。
というわけで今回は今季限りで退団する阪神の大ベテラン3人を紹介しました。
3人とも僕が子供の頃から見ていた選手だったのですごく寂しいです。
いつかまた戻ってきて阪神のユニフォームを着て欲しいと思います。
これからもこのような動画をあげていきますので是非高評価、チャンネル登録よろしくお願いします!
ありがとうございました。