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【元祖宇宙人】阪神時代の新庄剛志ぶっ飛んだエピソード7つを紹介!

宇宙人 

 

プロ野球において宇宙人とは天然で不思議な言動や行動をする人物についての別称であり、現在は阪神糸井嘉男、ソフトバンク柳田悠岐が宇宙人と呼ばれていますが。

元祖宇宙人といえば元阪神日ハムでプレーした新庄剛志。

そこで一つの疑問が生じました。

なぜ新庄剛志は宇宙人と呼ばれていたのか?

とうわけで今回の動画は新庄剛志阪神時代の宇宙人エピソードをまとめてみました。

野球中継を見るような感覚でご覧ください!

ではどうぞ!

 

和田豊から激怒

若かりし頃の新庄は先輩の和田豊との会話で「オフってどういう過ごし方すればいいんですか」と質問すると「野球がしたくなるまでオフは練習しなくていい」と言われ、29日までイタリアで過ごし帰国。

2日間自主トレしてキャンプインに臨むと和田豊に「2日はいかんぞ!」と激怒されたとのこと。

 

引退宣言

1995年オフ、契約更改後の記者会見で「野球に対するセンスがない」と当然の引退宣言。

理由は95年シーズン中に足首の故障で2軍落ちしていた練習日。練習時間に合わせてグラウンドではなくトレーナーのところに行き、その後にグラウンドに行ったところ当時の2軍監督藤田平に「1時間遅刻だぞ!」と頭ごなしに怒鳴られ正座させられたことがきっかけ。

また恩師の中村監督、柏原コーチの2人が退団し、藤田平が新監督に就任したこと

加えてシーズンオフは右肘の治療に専念したかったのに、現在のフェニックスリーグの前身、黒潮リーグ行きを命じられたことで不満が爆発した結果でした。

しかし、宣言後に新庄の父親の病気が悪化したことを母から伝えられ、最終的には父親を勇気付けるため現役続行を決断。

新庄は会見で

ユニフォームを着ている姿を見せるのがオヤジへの一番の薬だと思ったんです。自分の人生どうこうじゃなく、命にはかえられませんから

と謝罪しました。

 

名将にクレーム

1999年。ヤクルトを4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた名将野村克也監督が阪神の監督に就任。当時の阪神には広澤克己などヤクルト出身者がおり、ミーティングが長いと聞かされていた新庄はキャンプ初日に監督室に出向き「人間の集中力は学校の授業時間と同じ50分です。50分を超えると人間は集中できなくなって野村監督の素晴らしいお話が頭に入ってきませんし、眠くなると思います。ミーティング時間を50分以内にしてくれませんか?」と直談判。

野村監督は新庄の願いを聞き入れ、その後のミーティングで時計を確認した後「新庄さん!5すいません!50分過ぎちゃいました!」と野村監督が新庄に謝罪。新庄はこんな若造の自分の意見を聞き入れてくれた野村監督に感動し、その後新庄は広澤に「お前言ったの?マジ神様!ありがとう!」と感謝の言葉を述べられたとのことです。

 

それから数日間、新庄は野村監督のミーティングを集中して聞いていると「あれ?また同じこと言ってんな」と野村監督が同じ言葉を繰り返していることに気づき、再び監督室に。

野村監督に「同じ言葉が繰り返されると野村監督のスゴさが薄れます」とフィードバック。

すると野村監督は「俺のじいちゃんもそうやったわー。ありがとう!」と指摘を受け入れ、その後、自身がミーティングで同じ言葉を繰り返していることに気づくと新庄に向かって「新庄くん!ごめん2回言うてもうた!」と謝罪し、爆笑に包まれたとのことです。

 

二刀流

元日ハム大谷より前に二刀流に挑戦した選手こそが新庄剛志。

野村克也監督は新庄の強肩を高く評価し「うちの誰よりも速い球を投げる」と、就任一年目の春季キャンプで投手の練習をさせ、巨人とのオープン戦でリリーフ登板すると最速142キロの直球と変化球で1回を三者凡退に抑えました。

当時解説をしていた中畑は新庄が投じたカーブを「意外に曲がりましたね!ヘッヘッヘ!」とコメントしていました。

しかし新庄はピッチャーに飽きたため、野村監督に足が痛いと嘘をつき、元のポジションに戻りました。

 

敬遠球

1999年6月12日対巨人戦延長12回裏4対4一死一三塁の場面でバッターは新庄。

この日の新庄は猛打賞と当たっており、巨人サイドは新庄を敬遠し満塁策を選択。

当時は今みたいな申告敬遠がなく、敬遠するには大きく外したボールを4球投げないといけませんでした。

巨人サイドが敬遠を始めると新庄は「これなら打てる」と確信。

槇原が2球目を投じた瞬間、新庄は左足を一歩踏み込みバットを出し、見事打球は三遊間を超えてサヨナラヒットとなりました。

新庄は3日前の広島戦で敬遠された時「これは打てるんじゃないか?」と敬遠を打つ練習をしていたらしいです。

 

明日も勝つ!

1999年9月10日に新庄がヒーローインタビューで言い放ったセリフ。

新庄が明日も勝つ!と言った翌日から阪神はなんと12連敗。一気に最下位に転落し以降、ヒーローインタビューで明日も勝つを言うとチームが連敗してしまうジンクスが生まれ、絶対に言ってはならない呪いの言葉となったのです。

 

4番

2000年シーズン途中。新庄は調子を落とし、落ち込んでいるところを見かねた野村監督が

「お前は何番だったら野球を真剣にやってくれるんだ」と質問すると新庄は「そりゃ4番ですよ~」と返答。

すると野村監督は翌日から新庄をずっと4番で起用し続けました。

新庄は野村監督の心意気に発奮し、この年キャリアハイの.278 28本 85打点をマークし、期待に応え、メジャーに旅立ちました。

 

というわけで今回は新庄の阪神時代のエピソードをまとめてみました。

日ハム時代のエピソードについてはまた後日動画にしたいと思います。

これからもこのような動画を上げていきますので是非高評価、チャンネル登録よろしくお願いします!

ありがとうございました!

 

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