1ゲーム差
2005年以来優勝がない阪神タイガース。近年1番優勝に近かった年が2008年と2010年。2008年は巨人に13ゲーム差をつけ首位を独走するも最後に大逆転されてV逸。
そして2010年も優勝した中日にわずか1ゲーム差の2位に終わり、後一歩のところで優勝を逃してしまったんです。
そこで一つの疑問が生じました。
なぜ2010年の阪神は優勝を逃してしまったのか?
というわけで今回は2010年の阪神を振り返りたいと思います!
野球中継を見るような感覚でご覧ください。ではどうぞ!
開幕前
2008年悪夢のV逸の責任を取り、辞任した岡田彰布から監督を引き継いだ真弓明信政権1年目の2009年。正捕手の矢野、前年10勝を挙げた岩田、JFKの一角久保田が前半戦を棒に振るうケガに見舞われ、2009シーズンに入ると新外国人のメンチが全く使えず、これまでチームを支えてきたベテランたちの衰えも見え始め4位に沈みました。
そして同年限りで平成No. 1盗塁王の赤星がヘルニアのため現役を引退。
シーズンオフには赤星に代わる1番候補に新外国人マットマートンを獲得。
前年課題だったキャッチャーにはメジャー返りのスーパーキャッチャー城島を獲得しました。
2010年シーズンが開幕すると1番のマートンがヒットを積み重ね、城島は開幕2戦目でサヨナラホームランを放つなどド派手な活躍でチームを牽引。
開幕から白星を積み重ねるも、4月18日阪神にとって大きな出来事が起きます。
金本の連続試合フルイニング出場の世界記録がストップ。
開幕前の練習中に味方選手と激突し、右肩の棘上筋部分を断裂。送球が満足に出来なくなり、記録がストップする前日の横浜戦ではバックホームが出来ず二塁走者の生還を二度許してしまったんです。僕もこの時テレビで見ていて、あまりにも痛々しい姿に胸が痛くなりました。
そして4月18日の試合前、真弓監督に自ら出場辞退を申し入れ、連続フルイニング出場は1492試合でストップ。
阪神ファンの僕はとうとうこの時が来たな。と時代の流れを感じました。
そして試合の終盤になると金本は代打で登場。割れんばかりの大声援が送られました。
そして開幕から絶好調だった能見篤史も5月2日の巨人戦、走塁中に故障。
4ヶ月もの戦線離脱を余儀なくされました。
チームは前半。前年日本一の王者巨人の独走を許すも7月終盤に追いつき、9月には中日を加えた三つ巴の熾烈な優勝争いを展開。
9月には一時マジックが点灯したものの中日との3連戦で勝ちきれず30日の横浜戦で守護神の藤川が村田に一発をくらい終戦。V逸となりました。
阪神はこれまでの歴史上、強力打線が形成されるたびにダイナマイト打線という名称で呼ばれ
阪神唯一の日本一を達成した1985年
星野仙一監督の元、日本中を熱狂させ18年ぶりの優勝を果たした2003年の打線にもこの名称が使われました。
そして2010年。この年の猛虎打線もダイナマイト打線の再来と呼ばれ
1番のマートンは214安打を放ち、イチローが持つシーズン最多安打のプロ野球記録を更新。
2番の平野はチーム1位の打率.350
3番鳥谷はプロ野球史上初ショートでのシーズン100打点
4番新井は自己最多の112打点
5番ブラゼルはリーグ2位のホームラン47本
6番に金本、7番に城島がおり、
打率3割以上が5人。90打点以上が5人を要する
歴史的な超重量打線でした。
チーム打率.290 チーム安打数はセリーグ新記録の1458 チーム本塁打数も阪神史上2位の173本を記録。
対する投手陣は
202.1回を投げ14勝を挙げた久保康友
途中加入で11勝のスタンリッジ
大ベテラン下柳
後半戦からは
中継ぎで加入するも結果が出ず、途中で先発に転向し、後に虎のエースとなるランディ・メッセンジャー
高卒新人の秋山
ケガ明けの能見篤史
がローテを形成しました。
しかし、規定投球回に到達した選手は久保康友のみ
中継ぎ陣は
前年に中継ぎエースのジェフウィリアムス、スコットアッチソンが退団。、
西村憲、渡辺亮、JFKの久保田智之、藤川球児が奮闘するも、、先発も前年7勝の岩田が一年を棒に振るったこと、能見がケガで長期離脱したことも響き、全体的に防御率が高く優勝を逃す要因となりました。
真弓監督はインタビューで優勝できなかった要因を中日の本拠地ナゴヤドームで2勝10敗を大きく負け越したこと、9月21日からのナゴヤドーム3連戦で勝ち越せなかったことを挙げています。
というわけで今回は2010年の阪神についてお話しさせてもらいました。
これからもこのような動画をあげていきますので是非高評価チャンネル登録よろしくお願いします!ありがとうございました!