26番目の選手たち
千葉ロッテマリーンズは背番号26を欠番にしている。ベンチ入りできる選手は25人。すなわちそれに次ぐ26番目の選手。それがマリーンズファンだということだ。
手拍子と大きな声で選手を後押しする、サッカーのような応援スタイルは、ファン同士の統一感を生み出し、12球団でナンバーワンの声量ともいわれています。
野球ファンなら一度はロッテの応援を経験したい人も多いでしょう。
また、ホームだけでなく、ビジターでも大きな声量で選手たちを奮い立たせます。
2005年に6冠を達成したときには、いずれもビジターでの優勝だったので、メディアからは「黒の集団」と評されました。
ちょっと余談ですが、2005年に初めて交流戦が開催されたとき、セリーグのファンや選手たちはロッテの応援を初めて目の当たりにして衝撃をうけたといいます。
当時はまだユーチューブがなく、テレビがメインの時代。
長らく低迷していたロッテは、テレビの露出が少なかったため、ロッテの応援スタイルも知られていませんでした。
2005年当時、まだ小学生だったわたしも、はじめてロッテの応援をテレビで見たとき、「スゲー!」と衝撃をうけたことを今でも覚えています。
また、ロッテの応援は他球団の監督からも一目おかれています。
西武辻監督は、ロッテの応援について「本当にうるさい、屋根があるところでのロッテの応援はたまらんわ。ピンチでも何でもないのに、ピンチになるし、サッカーのスタジアムじゃないんだから」といわしめるほどです。
その当時の音声がこちら。
そんな、対戦相手からも、とてつもない脅威を与えるロッテの応援。
そこで1つの疑問が生じました。
ロッテの応援はいつから今の形になったのか?
というわけで今回の動画は「ロッテファンの応援の起源」についてお話していきたいなと思います。
野球中継を見るような感覚で画面に全集中お願いします。
現在のロッテの応援の起源は今から28年前
1992年までさかのぼります。
ロッテオリオンズは本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムに移転。
球団名を千葉ロッテマリーンズに変更。
当時のオリオンズの応援の映像がこちら
メガホンを使った従来の応援
そして1993年
日本ではサッカーJリーグが開幕。
当時、特別応援許可を得ていた私設応援団「千葉ロッテマーリンズ外野応援団」がJリーグのスタジアムに足を運んだことで、Jリーグサポーターとの交流がはじまりました。
ちなみに94年の動画
まだ、旧来のメガホンをつかった応援がされています。
第一次バレンタイン政権の1995年。これまでのピンク色をあしらった斬新なユニフォームをバレンタイン監督は「これは戦う集団の着る服じゃない」と苦言。ユニフォームと球団旗が変更されました。ときを同じくして、マリーンズファンによる応援グループ「Marines Victory productions 」通称MVPが発足。
MVPは球団とNPBから応援許可を得ていないので応援団ではありませんが、許可を得ている「千葉ロッテマリーンズ外野応援団」と強い関係にあったため実質的に応援の陣頭指揮をとっていました。
MVPとマリーンズ外野応援団はサッカー、アメリカンスポーツの応援スタイルを参考にし、
これまで応援の恒例だった法被の着用を廃止、レプリカユニフォームの着用に変更しました。
当時のプロ野球の応援は、ユニフォームを着て応援する文化がなく、球場に足を運ぶときは基本私服。熱狂的なファンは法被を着るのが当たり前でした。
さらに当時、同じく当たり前だったメガホンの使用もやめ、指笛と手拍子中心の応援に変更しました。
95年の動画
しかし、まだ応援が根付いていないせいか、メガホンを使用しているファンも見受けられました。
98年
ロッテはプロ野球ワーストの18連敗を記録。
本来なら暴動が起きてもおかしくない自体でしたが、マリーンズファンは「マリーンズ俺たちがついてるぜ」の横断幕をだし、選手を応援しつづけました。
連敗を止めてロッテの選手とマリーンズファンが歓喜する瞬間は、当時のプロ野球ファンを感動させました。
99年になると、だいぶ今の形の応援になっています。
2002年にはマリーンズファンが毎日スポーツ人賞文化賞を受賞し、その賞金を元手に「#26 Marines is My Life」のビッグフラッグが作成されました。
そして2005年。
マリーンズファンが最高のシーズンと語るこの年。
バレンタイン監督のもとチームは31年ぶりの日本一。
マリーンズファンは千葉市から特別感謝賞が贈呈されました。
ロッテの応援は全国に轟き、すべてが順調に見えた。
しかし、2009年
MVPの不祥事
これについてはまた後日動画にしたいと思います。
この不祥事をきっかけにMVPと千葉ロッテ外野応援団は解散。
これまでMVP、外野応援団、マリーンズファンが作り上げたロッテの応援は崩れ去りました。
その後、04年までMVPに所属し、応援をリードした人物ジントシオ氏が復帰、応援団も球団公設という形で再編し、MVP時代の選手応援歌をほぼ一新した。
16年からはジントシオが応援団を退団、現在の体制にいたります。
いかがだったでしょうか?
今回ロッテの応援の起源についてお話しさせてもらいました。
正直、MVPに対しては悪いイメージしかなかったのですが、こんにちのロッテの応援スタイル作り上げた功績は讃えるべきではないでしょうか?
ロッテ応援団が導入した新しい応援スタイル
もう一回整理します。
法被→レプリカユニフォームの着用
メガホン→指笛、手拍子
チャンステーマにジャンプ
ゲート横、危険地帯と呼ばれる一部地域ではタスキ状の長い布パンテーラを使用。
ゲーフラ、フラッグをつかった応援
タオル回し
今は球場の規制によって制限されているものもありまふが、
こういった応援スタイルは巨人や西武など他球団の応援にも大きな影響を与えました。
ユニフォーム着用はもう当たり前になってますもんね。
というわけで今回は以上となります。
これからもこのような動画を上げていきますので、ぜひ高評価、チャンネル登録よろしくお願いします!
ありがとうございました!